2016年2月5日金曜日

2人の画家と、青と赤

福岡県立美術館であっている「高島野十郎展」




福岡市美術館であっている「モネ展」


に、同日に行ってきました!

余談ですが(なんと最初から)、私は印象派の画家が好きです。
キラキラ反射する水面や、夕日が燃えるような赤、うきうきしながら描いたんだろうな〜と思ってしまう筆跡、青空に自然と混ざるやさしいピンク色、それからそれから…!!おっといかん。変態みたいになってしまう…。笑

中でもモネは、人生で一番(たかだか25年だけど)、本物の絵を見た回数が多い画家だと思います。

野十郎(やじゅうろうと読むそうです!名前かっこいい〜!)さんは、初めて。



こちらの2人、実は同じモチーフを使用して絵を描いていました。


それは「睡蓮」。


同じ題材を選んだ画家ですが、作風は全く違う。
でも共通して、自然や風景をとても愛しているようでした。


野十郎さんは「自分の内側で燃える静かな愛」。
モネは「発散したくてたまらない、燃えるような愛」。


絵を見ていて感じたことです。


例えるなら「青い炎」と「赤い炎」。


この2人、実は生き方も反対のようでした。


野十郎さんは、
画家同士の交流を一切望まず、他の画家の展覧会を見に行くこともなければ、知り合いがプレゼントしてくれた画集を開くこともない。
ただただ自然と向き合って、その魅力を描くことに専念した人。


かたやモネと言えば、奥さんと子どもを愛し、美食家であることが有名。
友達も多かったようで、ガーデニングにいそしむような一面もあり、かなり活動的な人。


う〜ん、違いすぎてて面白い!笑



それぞれの絵をみた感想としては


野十郎さんは

私「本当に1人でこの絵を全部描いたの!?雰囲気違い過ぎじゃない!?」

野十郎「だって僕にはそう見えましたし」

きっとこの人は、
自然や風景を見たとき、自分が感じたこと(きれい、とかココが僕はすごく好き、とか)に対して、一番その気持ちを表現できるアプローチを探して、絵を描いているんだな、と思いました。
あちら側(モチーフ)に寄り添うので、その時々で描き方が違うのが当然なのだと。


個人的に、最後の章の「月」のシリーズは、かなり切なくて。
落ち込んでいる時に、ふと気がついたら夜なのに今日は明るくて、空を見上げてみると木の間から満月が覗いていて、
胸がぎゅっと締め付けられるような。

切なさ。



モネは

モネ「僕これ好き!だからこう描いた!すごくいいよね!わかる!?」

私「うん!わかる!楽しそうだね!!笑」

自分のフィルターを通してぜ〜んぶモネ色に染めてしまう。
でもそのモネ色があまりにも楽しくてウキウキしているから、みーんなつられてHAPPYになっちゃう。笑顔になっちゃう。

自分の周りにも大体1人はそんな人いますよね。そんな感じ。笑


でも、晩年(白内障になって目が見えづらくなった後)の作品だけは印象が違って。

「自分が死んでしまう前に、描けるだけ描かなければ」

燃え尽きる前のろうそくのような雰囲気で、切迫していて気圧されてしまう。
幸せや喜びいっぱいの以前の作風とはガラッと変わっていました。

見ていて苦しいけど、でも…伝わってくるものがあります。



以上感想でした。



それぞれ生き方も画風も違うけど、どちらも愛せるなあ。
どちらが正しいとかじゃないわけだし。
同じものを見ていても感じ方が違うのは当然で、そこが面白いですよね。

とかいいつつ、自分はまだなんでも受け入れられるわけじゃないけど。笑




最後に。
どうでもいいですが、私は

野十郎さんは、「さん」付けに、
モネは呼び捨てで呼びたくなるようです。笑

作風と、絵から感じる人柄のせいかな?笑



はー、良いもの見た!!

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